大阪消防設備協同組合

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タイトル:発起の志
写真:発起の志
真弓興業株式会社代表取締役会長 笠井 康平 氏

 東京都の人口が世界で初めて1,000万人を超え、世界初の1,000万都市となり、2年後に開催される東京オリンピックに向けて日本経済が高度成長の一途を辿る真只中の昭和37年。
 前年には消防法の大改正が行われ、消防行政は新時代に突入。防火管理者制度の創設、消防用設備の設置義務化、消防設備士制度の創設等わずか数年の間に消防業界がめまぐるしく変貌を遂げていく一方、各消火器メーカーによる代理店制度が普及し始めた影響によって消火器をはじめとする消防機器の価格が不安定になり、我々業者を取り巻く環境は大きな混乱の渦中にあった。
 そんな中、西川芳蔵氏(マルナカ商会・当時)の発案、金田正道氏(消防新聞社・当時)の呼びかけにより昭和37年4月3日、9人の発起人が大阪府商工会館会議室に集まり、組合設立に向けて話し合いの場が設けられた。

【9名の発起人(順不同、敬称略)】
●岡本重夫(紀淡産業) ●笠井康平(真弓興業) ●片山小太郎(冨士産業) ●宗田務(宗田商店) ●竹下敏晴(竹下商会) ●多田準二(多田商店) ●西川芳蔵(マルナカ商会) ●馬場嘉三(赤尾保商店) ●山本一英(三和商会)
※社名は当時の名称  
 その後、幾度かの会議を経て同年6月29日に創立総会が開催、晴れて大阪消防機具商業組合(大阪消防設備協同組合の前身)が発足した。

 発足から50周年を迎えた本年、組合結成の発起人であり組合の現相談役でもある真弓興業株式会社 代表取締役会長 笠井康平氏を訪ね、理事長大森尚義が様々なお話を伺った。旭日双光章受章をはじめ輝かしい功績を残され、業界の発展に寄与されてきた笠井会長ならではの視点から、組合が辿ってきた歴史を振り返ると共に、これからの消防設備業界が進むべき道を見定めるきっかけを探りたい。
――50年前、なぜ組合を作ろうという話になっていったのでしょうか?きっかけとなった出来事などはありましたか?

笠井会長(以下、笠井):なぜ作ろうとか、細かいことはあまり覚えていない。ただ、自然に組合を作ろうという話にはなってきたんやけどね。改めて「こういう理由で…」というわけではなくてね。何度も会合をして、というわけではなく自然と同業者同士の繋がりを深めようというかね。

――昭和37年6月29日に大阪コクサイホテル(当時)で行われた創立総会時、正組合員84社、賛助会員22社が加盟していたと記録があります。発足時から100社を超える会社に賛同を得るには、大変なご苦労があったのではないでしょうか?

笠井:苦労した記憶はあんまりないなぁ。勧誘したというより、呼びかけたら自然と集まってきたという具合ですわ。発起人がそれぞれの知り合いに声かけたら、それだけの人が集まってくれた。当時は設立して間もない会社ばかりで何処も彼処もとにかく忙しく、毎日バタバタしていた。それだけに、他社がどんな商売をしているのかは気になります。横の繋がりを深めることは、自然の流れやったんでしょうな。

 記録を遡ると最初の発起人会から創立総会までは87日間しかない。入会の勧誘はもちろんのこと、事務所探しをはじめとする諸手続きを、本業の合間を縫ってわずか三ヶ月弱の間に行うことに相当な労力が必要であったことは想像に難くない。笠井会長はそれを「自然の流れであり、苦労した記憶はない」と振り返られた。まさに時代が同業者同志の繋がりを求め、そしてそれに応えようとする聡明な発起人たちがいたからこそ発足できた組織だったのである。

――発足当時、この業界の状況はどのようなものだったのでしょうか?現在との違いはありますか?

大森理事長(以下、大森):詳しくは私も分かりませんが、いわゆる不良業者は昔より今の方が多いとよく聞きます。あまり業者同士のトラブルはなかったのでしょうか。

笠井:というよりも、とにかく商売に必死やったから、そういうこともあまり気にならなかっただけかもしれないな。

――消防署との関係はどうでしたか?

笠井: 消防署には毎日行っていたね。消防署が民間に立入検査をするから、商売のネタが発生する。これは今でも同じやけどね。消防署に消火器を寄付して飾ってもらったこともあったね。

――消防に営業をかけて、そこから広がるという感じ。

笠井: そうやね。消防署に出入りしていると、「そういえばこの前、○○の建物にいったけど…」という会話から仕事の“種”を得たりする。これは今では考えられない事やけど、当時はそんなことが毎日のようにあった。

――では50年前と今、この業界で一番変わったと思われる事は何でしょうか?

笠井:足を使って仕事を取ってくるということが少なくなったように思うね。例えば私らが若い頃は、車そのものが「動く広告」のようなもんやった。社名が大きく入っていて、派手な色で統一していた。その営業車で毎日毎日お得意先を周っていた。いまはそんなこともなくなったもんね。

大森:いまはあえて営業車に社名を出さないと聞きます。時代の変化でしょうかね。いわゆる消火器屋だった会社が、消防設備点検制度の導入で総合防災屋に変わったのもこの50年の大きな変化のひとつですね 。

笠井:昔は消火器を一日3本売ったら遊んで暮らせると言われた時代やったからね。

大森:大阪弁で言うところの“折れて曲がる”商売でした。

笠井:当時は泡消火器やったけど、詰替えするには技術とかコツが必要やった。それだけにプライド持ってやってましたな。最近は詰替えせずに新しいものを買ったほうが安いと聞きます。毎日泡の詰替えに行っていた時代が懐かしい。

 我々の業界が“消火器屋”と呼ばれ、とにかく消火器を売り歩き、薬剤の詰替えをすればするほど儲かった時代。そんな時代も消防設備点検が法制化された頃、つまり組合が発足した頃を境に変化し始めた。大阪消防機具商業組合の発足は、いわゆる“消火器屋”に別れを告げ“防災屋”として新たなスタートを切るための号砲だったと言えるかもしれない。

――そんな消火器も含め、数年前から消防設備点検資格者という数日間の講習で取得できる免状が与えられるようになり、その免状さえあれば形式上はどんな消防設備も点検が出来るようになりました。

大森:私も現場に出ますが、前任の業者の仕事があまりにも杜撰なケースが多くなってきているように思います。点検資格者制度が原因とは一概には言えませんが、技術のレベルが極端に低い素人同然の業者が存在することも事実です。

笠井:それは本当に寂しいことやね。

大森:自動火災報知設備などは、近年特に構造が複雑になり、素人仕事では済まされなくなってきています。言葉は悪いですが「行政の言いなり」にならないためにも、こういった業者を減らし、技術や、技術に裏付けられた知識を向上して行くことは組合にとっても今後の大きな課題と言えます。

 理事長の言葉に大きく頷かれた笠井会長に、最後の質問を投げかけてみた。
――最後に、これからの業界を担う現役の組合員に対して、一言いただけますか?

笠井:今の若い人は、皆しっかりしている。余計な事を言ったら笑われるから何も言いません(笑)。とにかく一生懸命頑張って下さい。

 意外にも、返ってきた答えは苦言ではなく労いと励ましの言葉だった。この業界を半世紀以上、一筋に駆け抜けて来られた笠井会長ならではのメッセージに、時代に違いはあっても持つべき志は発起人たちと何ら変わらないことを思うとき、組合と組合員各社、そして何より業界全体の更なる発展を誓わずにはいられない。この度の笠井会長の言葉を励みに、今後も誠心誠意、職務に励んで行ける私たちでありたい。

(取材:平成24年3月9日、真弓興業株式会社にて)

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